下駄で歩いた巴里/林芙美子
林芙美子紀行集「下駄で歩いた巴里」(岩波文庫)はすごく面白かった。
昭和の初めトランク一つで女ひとり北京、ハルピンなどを経由し、シベリア鉄道に乗り パリへと旅をする。 旅費もほとんど持たず、予定もあまり決めず(もちろん宿も)、 異国の地でぶらぶら歩いては生活や 人々を観察し、見知らぬ外国人と語らう。 (本書ではパリやロンドンの他、下田、北海道など国内の紀行文も入っていて これも読み応えたっぷり) パリではパンや牡蠣、白ワインなどの食事の他、観劇を堪能し、 (今のパリ好きの女の子たちがするのとおんなじ) 風呂屋ではちょろちょろしか出ない水に「パリは田舎だ!」と憤慨、 買い物では言葉ができず「コムサ」を連発し、売春をしている女に居候されたりと 旅行記として読んでも充分面白い。 そしてこれが現代ならいざ知らず、戦争の足音が響いている時代なのだから驚き。 ただ、一人旅を自由にでき、 「夫の財布をあてにしないしたしめっぽい家庭婦人にならなかったことを もっけの幸いだと思っている」と書くほどのたくましい女流作家だったのだが、 これらの紀行文の中にも随所に迷いや書く事、仕事への不安や 鬱々とした気持ちが出てくる。 「いい仕事をしたい。実にいい作品を書きたいものだ」 「人間は捨て身になって仕事に溺れるべきだ」 「仕事をしないので、何よりいらいらするけれども、仕方がない。 別に恥ずかしい生活でもないけれど、だが、時々誰にともなくすまないと思う気持ちは 何としたことだろう」 「本当は書くことも苦しいのだ。愉しく切ないのだ。死んだ方がましだと思う日もある。 やりきれなくなるから旅をするのだ」 「苦しいことは山ほどある。一切合財旅で捨て去ることにきめている。 まして文学の苦しみをやだ」 いい小説を書くことが人生の目的であり、全身全霊をこめて取り組んでいくための なくてはならないものが「旅」だったようだ。 1951年47才で没、当時としては早くはなかったと思うけど、 生き急いでしまったような気がするなあ。
by musasabi-sapana
| 2009-06-25 13:01
| 映画・本・美術
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