むささび通信

映画/牛の鈴の音

韓国で大ヒットしたというドキュメンタリー。
映画を観て、そのヒットの理由は「韓国でもすでに失われてしまったものだから」
ということがよくわかる。
鳥のさえずり、蛙の合唱、虫が飛び交う里山の風景はもちろん、
不器用なまでの老人の生き方、夫婦のあり方などすべてにおいて。

通常15年ほどの寿命なのに40年も生き続けている牛を飼っているおじいさん。
やはり年老いたおばあさんとの二人暮らし。
牛は40年の間、畑を耕し、荷物を運び、二人の子供9人を育てるまで働き続けてきた。
回りでは皆機械化の進んだ農業をしているなか、おじいさんは
無農薬と手作業にこだわる。
「楽をしてはいけない」
それがおじいさんの信条。
今では肉も落ち、骨の皮になってしまったが、それでもよろよろと動く牛を
お供に連れて畑に出掛け、いざるように(おじいさんは足が悪い)
はいつくばって畑を耕す。
ふしくれだってまがった指、枯れた棒っきれのような足、長年の日焼けで
しわだらけの顔、折畳んだような腰、
おじいさんも牛もなんだか同じに見えてくる。

そんな姿を見ては悪態をつくおばあさん。
「こんなよぼよぼ牛のために私は苦労している」
「農薬を使って私を楽にしてほしい」
「こんな人に嫁いだ私がばかだった」
そんな妻の愚痴に対しては馬の耳に念仏のおじいさん。
そして言葉は鬼のような妻だけど、本当は長年連れ添った
おじいさんのことは心配でならないし、愛情がないわけではない。
ただ、あまりに牛のことに熱心で執着しすぎるおじいさんに
「自分より牛を大事にしている」と半ば嫉妬も感じてしまうのだ。

牛はといえば、もちろん何も言わない。
ただもくもくと牛車を引き、草を食らい、時おりはかなげな潤んだ目で
たたずんだり、足を折って座っているだけだ。
おじいさんとの関係だってペットと飼い主のように名前で呼ばれるわけもなく
時には鞭で打たれ、雨が降ろうがこきつかわれる。
それでもなみなみならぬ情が流れていることは随所に出てくる。
牛の最後を看取る時にそっと鼻輪と足枷をはずしてやる手は
もしかして長年連れ添った妻が先に逝くときより
やさしいのではないかと思うほど。

終盤に近づいたワンシーン、川の上にかかる橋をおじいさんと牛が渡るところ。
夕日に影絵芝居のように浮かび上がる姿。
これが本当に美しい。
このシーンで涙が出てしまった。
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by musasabi-sapana | 2010-01-10 23:04 | 映画・本・美術
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