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むささび通信

さよならチルチル

8月23日(日)朝、暑かった夏の終わりを待っていたかのように
チルチルは天国へ旅立った。
まだ1歳3ヶ月、短すぎる一生だった。
うちにきた昨年8月当時(推定3ヶ月)はまだ預かり状態だったが、
11月に先住猫とらちゃんが逝ってしまい、
年末に引き取りを決心した。
白血病キャリアで将来発症するリスク、
あまり長生きはできないだろうことは承知の上で。
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ケージで世話をしていたチルチルを部屋に解放してからは
(とらちゃんがいる間は白血病が移る可能性があるので隔離していた)
どんどん私に慣れ、冬はふとんで一緒に寝るまでに。
おもちゃで遊ぶのが何より好き(遊んでほしくて呼びにくるほど)
でもビビリだけは直らず、インターホンの音だけで
押し入れに直行(ピンポンダッシュとよんでいた)、
知らない人が苦手で隠れてしまうシャイなおぼっちゃまに育ってしまった。
これじゃいかんと冬には札幌に行ってる間、
同じマンションのご夫婦に預ける外修行経験(?)も。
旦那さんにはお腹を見せてくれるようになったそう。
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その後体調を崩すことは全くなく、
春先、一時食欲が落ちたけれど、体重も4kg近くまで増え、
もしかして白血病は陰転したのでは?とひそかに期待もしていた。

6月の終わり、再び札幌に2週間滞在するため、
今回はチルチルの保護主のボランティアYさんに預けた。
その間、兄弟猫たちと元気に過ごしていた。
7月中旬、札幌から戻りその晩に引き取りをする予定でいたところ、
Yさんより「少し呼吸がおかしい」との連絡をもらい
一緒に夜間救急で病院へ。
昨年からすでに兄弟の2匹が発症して亡くなっているのだ。
キャリーバッグの中でチルチルは口呼吸になり苦しそうだった。

診察の結果、予想通りの胸腺型リンパ腫。
胸には胸水が260mlもたまっていた。
余命は1ヶ月~1ヶ月半。
抗ガン剤など使って延命させるつもりはなく、
ステロイド、抗生剤の投薬で様子を見て、
少し苦しそうな様子になったら胸水を抜きに通院することにした。
なんとか苦しませないよう最期まで世話をしようと決心したものの、
その晩は悲しくて寝付けなかった。

その後は呼吸はかなり早い感じだったが
薬のおかげで思ったより容態が安定し、
2週間に一度、その後2週間後の8月15日にもう一度胸水を抜いたが
いずれも最初ほどはたまっていない。
それでもエコーでは腫瘍が大きくなっていることはあきらかで
いつ何がおきてもおかしくないと
爆弾を抱えているような状態だった。
ただ、様子はこれまでとそれほど変わらず、
ごはんも普通通り、相変わらず紙を丸めたおもちゃを転がして遊んだり、
走ったり(その後決まってお腹が早く上下していて心配だった)
窓辺や押し入れで昼寝をしていた。
毎日猛烈な暑さのため、エアコンはほぼ24時間つけっぱなし。

15日に胸水を抜いた5日後、少し苦しそうだったので再び通院。
間隔が5日と短くなっていた。
胸のリンパ腫も5cmくらいにもなっており、
(心臓より大きい)肺を圧迫、
空いているスペースに胸水がたまっていく。。。という
悪循環だった。
医者にはこれ以上できることはなく、とにかく苦しさを和らげるには
胸水を抜いていくしかない、この病気は最終的に苦しむので安楽死も選択のひとつだと言われた。

家に帰ってからもこれまでは胸水を抜くと少し楽そうだったのに、
時折、頭までカクカク揺れるような呼吸をしている。
知人に教えてもらった酸素室の機械をレンタル、ケージにビニール囲いをして
和室に設置した。
ただ機械を付けていない時には入っても、
作動させると音が大きいのと扉を閉められるので
いやがって出たがってしまう。
最期の段階で必要になるのかも、と予感。

21日の夜はまだ元気で玄関の土間に遊んでほしいポーズで
ひっくり返ったりしていた。
夜中は私のふとんの脇で普通に寝ていた。

22日の朝。
ケージの下段でぐったりし始め、ふせたままでいる。
荒かった呼吸がさらにひどくなった。
外出先からもどった15時くらいも同じ姿勢でいたため
リビングに酸素室を移動、そこにチルチルを入れた。

外にいるよりは多少楽かと思ったが、
それでも口を開けたままの呼吸が続き、
ケージ内でもポーズを何度も変えている。
途中出たがるので出してあげるとあちこちをうろうろしては
うずくまったり、
しまいに苦しがって叫ぶので酸素ケージに移動の繰り返し。
胸水を抜いても抜いてもたまり、
その間苦しくても呼吸ができる間は生きてしまうのだ。
いったいこの状態はどこまで続くのだろう。
夜中もずっと同じ状態が続く。
さすってあげたりしてもおそらく効果はない。
薄明かりの中、時々目を閉じてふっと呼吸が楽そうになっている姿を見て
何度も、あぁ、このまま逝ってくれたらチルチル楽になるのにと思い、
もう頑張らなくていいよ、と泣いた。
それでもチルチルは生きている。

朝5時過ぎ、空が明るくなってきたころ、
今まで頭をよぎらなかった「安楽死」がうかんだ。
それほど見ているのが辛かった。
6時半過ぎに札幌の相方に電話をして話し、
その後ボランティアYさんに連絡し、一緒に病院へ。
弱々しくなっているチルチルをバッグに入れ、
すっかり太陽が上ったまぶしい中、自転車で走った。
なんでこんなに朝の気持ちいい時間に
安楽死をさせるために走っているんだろう。
チルチルはバッグの中でネットごしに苦しそうに呼吸をしながら
私を見上げている。

時間外でいつものお医者さんではなかったものの、
事情を説明して処置をほどこしてもらうために同意書にサイン。
おそらく医者としては胸水を抜くなどの治療をしたかったんだろうが、
これ以上苦しませるのだけはもういやだ、その一心で
安楽死をお願いした。

薬を投与するための針を入れる作業で、一旦診察室を出された。
数分後呼ばれ、診察室に入ると診察台にはすでに息絶えたチルチルがいた。
針を静脈に入れている最中に呼吸が止まってしまったという。
もう目に光はなく、黒い瞳が沈んでみえた。
Yさんと2人でぽろぽろ涙を流して泣いた。

本来ならば安楽死は飼い主の見守る中、ゆっくりと薬を入れるので
1~2時間かかるという。
苦しみを和らげて眠るように飼い主とお別れをするものだそうだけど
あっけなくいってしまった。
ただ、それを見守るのもおそらくものすごく辛い時間なので
チルチルなりに私たちに見せたくなくて
自分で決心したのかな、とも思う。
また、結果的には安楽死ではなかったわけで
私が手を下したと思わせないようにしたのかな。

生まれたのは中野ブロードウェイ近くの猫の多頭崩壊エリア。
猛暑でずぶぬれになり、ふらふらになって
助けを求めてYさんの手に飛び込んできたそうだ。
短い間だったけど、うちで楽しい猫生を送れただろうか。
次は丈夫で健康に生まれてくるのだよ。
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チルチルが亡くなった日。
友達の娘のAちゃん(15歳)が泊りにきてくれて
翌日の火葬まで付き合ってくれた。
夜、帰った彼女から送られてきたチルチルの絵。
おとぼけ表情が似ていてちょっと笑った。
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by musasabi-sapana | 2015-08-26 20:59
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