染井遺跡
発掘の調査をしている友人に誘われて
江戸時代の染井遺跡の現地見学会に行った。 350年前、現在の豊島区駒込四丁目から五丁目と、巣鴨二丁目の北側付近の 染井通りの南側には約68,000坪の津藩(三重県)藤堂家の下屋敷と 抱屋敷(染井屋敷)が広がっていたそうだ。 当たり前だけど現在はほとんどの地域が住宅地で 古いところは新しいマンションの建設ラッシュだ。 見学した遺跡もこの見学会が終わり次第 来月にはマンションの着工に入るので ここを見られるのもつかの間というわけ。 近所の人を含め、2、30人の見学者が集まっていた。 遺跡自体はところどころに白線で境目がつけられ ボードがたっているものの 赤土の工事現場のような感じで 説明を聞きながら図面をみて想像するしかない。 柱穴列(ちゅうけつれつ)と呼ばれる 柱の穴(板塀の跡ではないかと推測) や植栽空間の跡(植木を抜いたりした際の穴)、 瓦溜まりと呼ばれる瓦の捨て場 (当時は地震で建物が倒壊してしまった時に 釘などの鉄分は溶かして再利用し、 使えなくなった瓦をためておく場所) 、生活ゴミ捨て場(貝や生ゴミ、その他) 堀の跡などが見られる。 またこのあたりは植木職人による園芸も盛んだったようで (ソメイヨシノはこの駒込あたりが発祥) 植栽空間も大きな穴から、直径3Mくらいの大木があったのではないかと 推測されているらしい。 今回の発掘場所は染井屋敷全体から見れば ほんの数十分の一程度の規模で、板塀、堀、植栽の跡くらいだが 裏手にある中学校のあたりが屋敷だったようだと 発掘調査の係の人が説明してくれた。 うーむ、ぜひこの中学を壊すときには 発掘してほしい。 見学をした土曜の昼下がり、 少しながら江戸時代に思いをはせた私たちだが、 隣の敷地では、 ガーガーとブルドーザーが無神経な音をたてて マンションの建設の真っ最中だった。
by musasabi-sapana
| 2008-03-02 22:38
| その他もろもろ
|
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||